名前
森岡 和紀(もりおか やすのり)
出身地・出身校
■ 鳥取県米子市出身
■ 米子松蔭高等学校
こんにちは、田中療術院 米子分院長の森岡和紀(もりおか やすのり)です。
私は昔から体を動かすことや遊ぶことが大好きで、保育園の頃は誰よりも早くジャングルジムの一番上に登ったりしていました。
そして年長になる頃には兄の影響で柔道を習い始め、本格的に体を動かしていくようになりました。
ただ、柔道をやっていく中で元からあった喘息が強くでてしまい、小学4年生頃からは柔道をやめて水泳に通うようになりました。
水泳を始めると泳ぐことが好きになり肺活量も少しづつ増え、全身運動で体力もついてきたことで徐々に喘息の症状も出なくなりました。
そして中学校でも水泳部に入り、小学4年生から6年間水泳を続けました。
中学を卒業した後は米子松蔭高校に入学したのですが、米子松蔭高校には水泳部が無かったので、どの部活にも入らなくてもいいかなと思っていた時に私の人生を変える出会いをします。
それが「体操」でした。
初めて体操を目の当たりにした瞬間、直感で「これだ!」と確信したのです。
見学に行ったその日のうちに入部を申し出て、体操部に入部することに決めました。
休みの日も練習するほど体操が好きになり、3年間で2回インターハイに出ることができました。
ちなみに私はこの頃から部員にテーピングやマッサージをしたり、自分自身の怪我で鍼灸院などの治療院に通っていたこともあり、身体の仕組みについてもっと詳しく知りたいと思うようになっていました。
そして、米子松蔭高校の体操場には田中療術院の田中先生がたまに来て体操を練習されていたのですが、私はこの時に田中先生と出会います。
田中先生は体操の練習だけではなく、怪我をした体操部の生徒を何名か施術していていました。
私もその時に初めて田中先生の施術を体験したのですが、すぐに変化が出てとても感動したのを覚えています。
高校時代の経験から治療の仕事に興味をもったこともあり、高校卒業後は鍼灸師の資格のとれる医療系の専門学校へ進学することにしました。
初めて本格的に勉強する分野で、とても楽しかったのですが同時に業界の大変さもよく分かりました。
そして、本当に自分にはこの仕事が務まるのか不安にもなってきました。
そんな煮え切らない気持ちだったのもあり、専門学校を卒業した後は医療系の道にすすむことはせず、体操に指導者として社会人生活をスタートしました。
体操は大好きなので子供達に体操を教えることは楽しく、充実しながら仕事をしていました。
しかし、心のどこかで医療系の道を諦めてしまった気持ちもあり、本当にこのままでいいのかと自問自答することもありました。
そして、そんなある日のことです。
体操の練習場にやってきた田中先生と久しぶりに再会して、私の今の現状を聞いてもらっていると、「よかったら米子に分院を出すからやってみないか?」と声をかけていただきました。
急なことだったので驚きましたが、これまで専門学校で学んだ知識を活かすことができるし、田中先生の零式整体なら様々な症状で困っている人を助けることができる技術だと確信できたので、快く引き受けさせていただくことにしました。
そこからは毎週、田中先生や倉吉分院の久文先生の所で零式整体について学ばせていただきました。
研修以外の日は出された課題をこなしながらと、少しずつ技術を覚えてきました。
専門学校で鍼灸や人体についての勉強を一通り学んではいましたが、零式整体では新しく覚えることがとても多くあります。
体操の指導もしながらの勉強なのでとてもハードでしたが、早く技術を習得したかったので寝る間も惜しんで一生懸命勉強をしました。
同時に、体操場に来る生徒や友人に声をかけ、実践練習で何名かの人たちを施術させていただきました。
零式整体は即効性があり、特に学生などはその場ですぐに痛みがとれたり大きな変化がでるので改めて素晴らしい技術だと実感することができました。
ただし重症の方や慢性症状の方などは、思うように効果がだせないこともありました。
人の症状の原因は色々あるので、それを見つけるための経験値が私には足りていなかったのです。
そこで、学校の先生や家族、知り合いに片っ端から声をかけ、更に多くの症状の人たちに対応できるための実践経験をひたすら積み続けることにしました。
そして、次戦経験を積み続けることで手応えを感じるとこができ、私の中で確かな自信へと変わってきました。
多くの方を診させていただく中で、病院に行っても改善できずにつらい症状で困っている方や、我慢して生活している方が本当に多いことを知りました。
そんな方たちの健康な体を取り戻すために、しっかりと寄り添う気持ちをもちながらサポートをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
田中療術院 米子分院長
森岡 和紀